筋老師の教え

螺旋族の老荘、筋老師の黙示録です。

私の感想じゃダメなんですか?

 

さて、朝から1人でなんか暇なんで駄文でも一つ書こうと思う。

 

コロナウィルス、コロナワクチン、マスクの正しさについてだ。

 

結論から言おう

 

「そんなものわからん」だ。

 

これはコロナワクチンに限らず人口70億を抱えた地球において、このような経済や社会現象はあまりに複雑怪奇になりすぎている。

 

これは我々素人にそんなものわかるはずがない

 

そこに論理的思考笑を当てはめるのがもはやナンセンスではないかと言うことだ。

 

はっきり言って私は反ワクチンだし反マスク派だ。

 

それが、今の世論としてマスク社会を減らそうとしたりワクチンを4回も5回も打てとなってきたりでワクチンそのものに懐疑的になりつつある。

 

これは別にほら見ろ!行ったことじゃないか!と言いたいわけではない

 

何が言いたいかというとたまたま今回は私のアテが当たっただけでなにか反ワクチンの理由や反マスクを論理的に説明出来るわけではない

した所で今更後付けだ。

 

そう専門家以外は99%の人間は結局自分の感想で行動したって事に他ならない

2ch創立の彼もここでワクチンが良くないものだったとなれば彼ですら論理的にこの事情に解を出せていないと言うことになる。

 

結局彼もあなたの感想だったって話だ。

 

問題なのは自分以外の感想を相手に強要するマジョリティによる弾圧

 

本来あった可能性を断絶する事だ。

 

けど全て多様性を認めるってだけでは世の中うまくいかないってのはわかってるつもりだ。

 

けど、もっとそれぞれが自分の感想で生きていければいいのになって切に願う

 

もう一度聞こう

 

「私の感想じゃダメなんですか?」

 

 

 

 

 

的IQ者のパラドックス①

 

 

久しぶりの駄文となる。

 

ここ最近個人的に日常生活でハマっていたものに岡田としおの4タイプ別診断がある。

 

ざっくり説明すると人間は4タイプに分けれますよっていったそのままの法則なんだがこれがなかなかの優れ物なのだ。

 

これによって本能と性格の間にあるその人間の性質がわかるのだ。

 

その人間の性質を理解する事で社会にかなりの応用がきく優れた物だ。

 

またなぜ人間にそのような4タイプがあるのかという起源も個体の上位に存在する社会や文化形成によるものだという説もかなりしっくりきている。

 

この4タイプの特性をああだここうだ知り合いや職場で勝手に振り分けて1人で考察していたわけである。

 

だが、まったくどのタイプかわからない人や

 

ほぼタイプ分けが断定しているのにも関わらず性質とずれた行動をする人がたまにいた。

 

これを私は特性の強弱があると平面図的な物差しで仮定していたのだがどうも違った相関関係があると気がついた。

 

それは平面的な物差しに知能指数という直線的な物差しを足すと上手く説明出来る事に気がついた。

 

もう一度言うがこの4タイプは性格より深く本能より浅い

なので4タイプが性格に大きく影響しても性格が4タイプへの影響は極小なのである。

 

それほど深い位置にある4タイプに影響されるものとはその人の先天的な能力、つまり知能指数との相関関係が強い事がわかった。

 

 

そこから生まれた新たな法則

知能指数による差異

 

低IQ者によるパラドックスを紹介していこうと思う。

 

 

知識階層

今年36歳になる。

 

この歳になると自分の能力というか知恵を客観視する事が出来てくるようになったように感じる。

 

インターネットの普及によるジェネレーションを超えた交流も有り、自分以上に優れたスキルや分野に置いての知識を有した年下が平然とある事も受け入れられる。

 

また自分は馬鹿ではないが頭一つ抜ける様な知力がある訳でもない事も受け入れている。

 

そんな年頃の私の知識量とは、、、

 

現代に置いて知識はインターネットに様々なジャンルの知識が無数に落ちている。

 

その知識は知識によってまたは経験によって正誤が段々とはっきりとしていく

 

そう知識とはほとんど決められた特権階級の者たちのものではなく、探究し求めた物に多くもたらせられる物になったと言える。、

 

文字が読める階級

 

動画を見れる階級

 

話を聞ける階級

 

ビスマルクの壁

 

経験を知る階級

 

変わらない階級

 

 

 

「コロナ脳」

 

これはおそらく二つの意味にとらえる事が出来ると思う。

 

一つはコロナ禍なんだからマスク!アルコール!ソーシャルディスタンス!

と馬鹿の一つ覚えと揶揄する意味

 

あとはコロナななんか無い!陰謀論だ!

 

と、

ようは新型コロナウィルスによって世界の文化が変化した事による人々の変化を表しているように思う。

 

 

コロナ禍といえばマスクの着用である。

別に私は専門家ではないがマスクに関して言えば各所での意見を出来るだけフラットにみたつもりで個人的には9:1で人体に悪影響があると思っている。

 

最近は花粉だ花粉だと世間が騒いでいるのをみてこのマスクへの疑惑がさらに確信的に感じる。

 

私も数年前に花粉だかPM2.5だかはわからんが外に出ると皮膚、特に露出している首スジと顔面が猛烈に痒くなる時期があった。

 

一緒に仕事をしていた同僚にもその皮膚や症状から明らかな異常である事は一目瞭然だった。

さらには熱が出て皮膚科にいき処方箋をいただいて三日日ほど寝込むほどだった。

 

その異常なまでの疾患を経験してさらに外での仕事である私はどう対処したか?

 

もちろん一般的な紙切れのマスクなんかそのアレルギー反応にはほぼ効果無しである。

 

なので解体現場で使用される粉塵マスクに安全メガネ、さらに顔を覆うマスクをしてアレルギーを防いでいた。

 

季節は6月頃だったかな?

外仕事ともなると皆が薄着の時期に顔から皮膚が露出するのを嫌いアラブに人よりもさらに少ない露出で中が汗でドロドロになりながら外で作業していた。

 

つまり何が言いたかと言うと

このように経験則的にも花粉よりさらに小さいウイルスが市販されているマクスでの有用性にはかなり懐疑的なのだ。

 

 

さて、少し話を変えるが私は新型コロナウィルスのワクチンは"絶対"に打ちたくない

 

これもワクチン医療に対して決して専門家って訳ではないがそもそもワクチンの成り立ちが従来とはかなり違うようなのだ。

 

専門家でもないのでかなり端折らせてもらうが私のイメージするワクチンとは弱らせたまたは少量のウィルスを投与する事で自己免疫を作る

 

と、言うのがワクチンのイメージだったのだかこの○○社のワクチンはその自己免疫の部分をすっ飛ばした物

 

平たく言うとただの毒を入れるもに近い...

 

 

マスクをしてワクチンを打ってこれ安心!

 

まぁ気持ちはわかるのだがワクチンにしてもかなり懐疑的である。

 

ただ専門家でもないのにワクチンの作用機序で判断するというのも"絶対"にはほどというものだ。

 

その私が"絶対"に到達した部分が二つある。

 

それは1970年にワクチンなどから発生する副作用には製薬会社に責任が発生しない法律ができていたいう事実

 

SNS等でワクチンによる副作用の被害の文書やアカウントの抹消

 

この二つがあるだけで"絶対"に到達する理由になり得ると思う。

 

はたして歴史的に文書を改竄し焼き捨て言論を統制してきた国に正義など一つでもあっただろうか?

 

 

あ、これ海外の製薬会社の話ね

 

 

 

 

 

 

 

60%-60m 80%-15m

60%-60mとは

最大心拍数の60%の運動を60分

80%-15mとは

最大心拍数の80%の運動を15分

 

これが日々の健康に必要運動量の目安である。

 

正直細かい生化学的な作用機序は理解していないのだが

 

大雑把には運動によって生じる乳酸がコルチゾールを生産し、起床に必要なコルチコトロピンなどホルモンバランスが整えられる。

 

と、いった具合だ。

 

それによって快眠、快食、快便に繋がるという訳だ。

 

生化学的な作用機序がわからなくても適度な運動、ストレスは感覚的に健康に良いというイメージを誰もが持てるはずだ。

 

自律神経がーと所見する事があるが運動によるホルモン生産が理由なのかもしない

 

それについて一週間ほど何故か睡眠時間が非常に増えていた。

それは一週間ほどかなり肉体的ストレスの「少ない」仕事していたからだ。

 

職業別、睡眠時間の短さ「ベスト1」の職業は消防士で、「ワースト1」は無職だ。

 

「ベスト」と表現したのはそれだけ時間短くても活動可能にしているから、逆に無職は多量の睡眠時間をとる。

 

この事からも睡眠時間は必ずしも一様にベストな時間があるのではないし、本人の活動内容に起因している

 

そしてなにより肉体の回復などには直結していない事が考えられるはずだ。

 

著者も昨晩にサボりがちだったウェイトトレーニングをする事によって今、遅寝早起きによる「快眠」を実現してこの記事を書いている。

 

生活のQOLにお困りの方は是非ともタイトルの数字を参考にした「運動」を取り入れてみて欲しい

人の使い方2.0

コントロール欲求の強いヤツなのどロクな人間がいない

 

個人の経験と研究結果としても出ている。

 

仕事を割り振るにあたってひとまずモラルを考えないようにする。

 

今現在私が担当している工事を私一人と中国人研修生二人で行っている。

 

責任の発生する仕事の進捗や精度が必要な所、材料や手順の段取りは私自身が行い

実際の作業はほとんど研修生にやらせている。

 

今まさに「サボり」ながらスマートホンでこの文章を書いているのだ。

 

再び言うがモラルや作業の進捗を上げて利益を最大限つとめるべきという事はいったん横に置いておく

 

横におけば今は「三方一両徳」が出来上がっている。

 

 

まずは確実に私は最小限の労働力で最大の対価を得ているといっても良い

私がそう思うのだから間違いない

 

 

研修生はどうか?

なにか疑問などが出る時だけ私に問いかけてくる。

わからなければ私が代わりに作業をしようとする「イイ!イイ!ダイジョブ!」と言われ携帯でも引き続き触っていてくれとジェスチャで訴えられる。

 

おそらく前任の者やその他の作業指示者よりも私は彼らにより良い労働環境を提供出来ていると言うふうに理解している。

 

 

あとは会社はどうか?

 

打ち合わせによる作業の納期、正しく安全な工事をおこなっている。

なにも悪い事などない、計画された通りだ。

 

 

しかしここで携帯をイジってサボってる私を誰かが発見すると話が変わってくる。

ここでモラル等が発生する。

余裕があるなら作業の進捗を伸ばせだの

 

その結果どんなに頑張ったとしても1.2〜1.1倍ほどしかスピードはあがらない

 

しかし怪我のリスクや作業の正確性などはそれに身合わぬリスクとして増大する。

 

ただひたすらに業務を進めるだけとは最大効率とは程遠いものではないだろうか?

 

自分のエゴとも言えるモラル、コントロール欲求は最も下劣な欲求ではないだろうか?

人の使い方1.1

人は能動的から受動的に動く時に脳波が10/1に低下するとあった。

 

これを、我らがLoLに例えてみよう。

 

Botレーンが非常にわかりやすい例としてら挙げられると思う。

 

簡素に言う。

 

あるSUP専が私とBotに行く時はパフォーマンスが高いのだが、私以外の私よりレートの高いADCとレーンに行くとパフォーマンスが下がるのだ。

 

これは主観的な意見だが普段一緒にプレイするフレンドなら共感してもらえると思う。

 

パフォーマンスが下がる理由はレートが高い故の指示やダメ出しがあるからだ。

 

これは提示した指示や答えが論理的に正しいとしても指示としては正しいとは限らないという事だ。

 

人を使う。マネジメントする。

これらに求められる事は論理的な正しさだけでは無い

 

論理的な正しさではなく適正を見極める事が人を使う事と繋がるはずだ。